お盆に考えたこと:25歳の青年の記録から
- Yuki Miyabe
- 11 分前
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先日、両親の眠るお墓参りに行ってきた。
その墓地には、戦時中に建てられた、戦死された方が眠る一角がある。何年もその場所を通り過ぎていたのだが、ふと立ち止まって墓石の側面にある記録に目を向けた。そこには昭和14年、25歳という若さで亡くなった陸軍伍長についての具体的な記述があり、中国、満州での戦闘における最期が刻まれていた。
これまで戦時中のドキュメンタリーや映画、本には割と目にしてきたほうだと思う。しかし、この墓石に刻まれた生々しい記録ほど心を揺さぶられるものはなかった。言葉にできない圧倒的なリアリティをもって、それは確かにそこにあった。
25歳という若さにも、強い衝撃を受けた。その後、太平洋戦争を経てわずか6年後に大日本帝国は敗戦し、日本国となった。戦後は180度に近い価値観の変化がもたらされ、まるで戦前のすべてを否定するかのような風潮すらあったと聞く。しかし、戦争で亡くなった彼らは、ただその時代を懸命に生きただけなのに。
もし、25歳の彼が生きて終戦を迎えていたら、どんな人生を送っていたのだろう。結婚して子どもに恵まれ、高度経済成長期の豊かさを享受していたかもしれない。そんな、当たり前の日常があったはずなのに。
時代や国家、大きな仕組みというものは、ときとして大義名分や流行という聞こえの良い言葉で人間をあおり、本質を見えにくくさせることがある。
そしてこれは、私が携わる婦人科医療でも、決して無縁ではないのかもしれない。私の専門である婦人科腹腔鏡手術の領域においても、新しいデバイスや術式、流行のトレンドが生まれては、すぐに消えていくこともある。その仕組みの中で評価され、時代の波に乗ることはときに容易い。しかし、そうしたデバイスや新しい術式が、必ずしも目の前の患者さんにとって常に最適であるとも言えない。
もちろん、それが医学、科学の進歩なのか、それとも単なるトレンドや流行なのか、その時点では判別がつかないことも多い。でも、患者さんの人生にとって何が一番大切なのか、あるいは長期的に見てどんな術式を選択すればいいのか、冷静になって考えていきたい。
